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コミックマーケット95
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旧多摩聖蹟記念館
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佐久間ダム
「その混乱に乗じてショッカー隊員たちは天竜市を占領するのだ。これを日本に於けるショッカーの橋頭堡とする。」
ショッカーメキシコ支部での華々しい成績を買われ、苦戦していた日本へ派遣された爆破テロを得意とする幹部怪人サボテグロンの立案した「ショッカーZ作戦計画」とは佐久間ダムを破壊しその混乱に乗じて下流の天竜市を占拠するというものだった。(天竜市は2005年に浜松市に編入され現在は存在しない。)
アジトで部下に計画を説明する際にモニターに映された佐久間ダム(静岡県浜松市天竜区)は恐らくロケなどはしておらず何かの写真の流用かと思われる。
ショッカーメキシコ支部での華々しい成績を買われ、苦戦していた日本へ派遣された爆破テロを得意とする幹部怪人サボテグロンの立案した「ショッカーZ作戦計画」とは佐久間ダムを破壊しその混乱に乗じて下流の天竜市を占拠するというものだった。(天竜市は2005年に浜松市に編入され現在は存在しない。)
アジトで部下に計画を説明する際にモニターに映された佐久間ダム(静岡県浜松市天竜区)は恐らくロケなどはしておらず何かの写真の流用かと思われる。
ダムの脇にある佐久間ダム展望台から撮影されたものと思われるが木々が生い茂り見通せなかったので少しずれて撮影。撮影時にはかなり水位が低かった事が判る。
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採石場
スイスアルプス。FBIのピエールが潜伏するアジトを探すアンテナを備えたショッカーのビートル。
造成地のような場所で山の稜線が僅かに映るのみでヒントが無くお手上げだった。続く68話のイカデビル戦と同じロケ地だろうというところまでは推測出来たがその場所が特定出来ないでいた。安易に頻出の青梅の金本石材かと思ったが稜線がまるで一致しなかった。行き詰まってEROOYAJI氏に協力を要請、青梅周辺の採石場から順に検証範囲を広げくまなく見ていく事になった(氏に丸投げで筆者はほとんど何もしてませんが…)。調べていくと変身忍者嵐で何度か使用されている採石場と同一という事が判り確認するとライダーでは映らなかったアングルが多数含まれるためもう少し広い範囲の周囲の稜線、敷地内の位置関係の確認のテキストとなった。
結果的にEROOYAJI氏が虱潰しに見ていった採石場の一つ、愛甲郡の某採石場だと特定出来た。
調べると60年台後半から掘削の始まったその採石場は現在までに山ひとつ消えるほど掘削されてその役目を終え、現在は建築残土置き場に変わっていた。掘削が始まって間もなかった撮影当時はまだ山の原型を留めていたが、その後の掘削でその撮影していた地盤がすっかり消失してしまっているのだ。この67話で言えばビートルの走っていた場所は現在は空中という事になる。同じアングルで写真を撮ろうと思ったらドローンでも用意しないと叶わないのでとりあえずなんとか撮影できる場所は無いかと採石場の周囲を一周してみたがどこも見当たらず…別件で訪れたそこから3kmほど南に行った鳶尾山の中腹から同じ稜線を捉えてみた。適度に標高があり同じような山並みになったと思うがいかがだろうか。
因みにこの稜線は厚木の北に位置する以下の山になる。
時は高度経済成長期、川砂利の建築用資材として伸びる需要に全国で川底が露呈する事案が多発。昭和43年に川砂利採取の法規制があり山を崩して砂利を採取する手段に切り替える業者が増えた。この採石場もそんな一つで42年から掘削が始まり日に日に地形が変わっていき、数年でここにあった山(屋形山)が一つ姿を消す事になる。残念ながら肝心のライダーや嵐に使われた場所は撮影後数年のうちに姿を消してしまったようだ。同社のHPによると現在は掘削を終えていて建築残土の処分場として使用されているようで再び山に戻っていくのかもしれない。
なお、この採石場に関しては引き続き68話の検証の際にもう少し掘り下げていきたいと思う。
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大画報vol.5通信頒布
お待たせしていました拙著新刊の仮面ライダーロケ地大画報vol.5の通信頒布の受付をいたします。
下記のアドレスまでお名前、発送先住所、部数(お一人様2部まで)をお知らせください。
yart1969△gmail.com (△を@に変換してください。)
発送は日本郵便のクリックポスト(追跡あり、郵便受け投函。全国一律¥200−)の予定です。
なお、現在vol.5以外の号は品切れになっています。現時点では未定ですが次回増刷までお待ちください。
*すでにメール、SNSのDMをいただいている方には個別で返信していきますが万が一、週明けまでに返信が無かった場合はお手数ですが再度メールいただけますようお願いいたします。
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京王相模原線多摩川橋梁
戦闘員の熾烈な火炎放射器攻撃に炎上するライダー。燃え盛る炎を消すため川に飛び込む。
このシーンは京王相模原線の多摩川橋梁を使って撮影していると思われる。かなりの高さから燃やした人形を川に放り込んでいるので橋の上からだろうと思われ、対岸の木の並び、また左に映り込む橋に連続するアーチ補剛桁が確認出来る事から川崎の稲田堤付近から多摩川上流を見ていると推察。アーチは鶴川街道に架かる多摩川原橋の脇にある多摩川原水道橋のもの。
京王線の橋は列車専用の物で人が歩いて渡る事は出来ない。撮影は京王電鉄に許可を取ったかどうかは判らないが恐らく川崎の稲田堤側の橋脚から登って線路脇で人形に火をつけてたと思われる。今じゃコンプライアンス的に絶対撮れない映像だと言える。出典:第60話「怪奇フクロウ男の殺人レントゲン」
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高尾山 #2 自然研究路4号路/神変山園地
カブトムシを餌に子供達が連れてこられたのは高尾山の登山道を浄心門から右に枝分かれした4号路を少し入った辺り。子供達の背後に斜面から伸びた2本の木が一致している。ここをそのまま進むとカブトロングとの決戦が撮られたみやま橋に出る。
ちなみに上のカットが紅葉が始まりかけた10月の撮影、下のショッカーのモニター二映るカブトロングのカットと対比した写真は桜が咲くには少し早い3月末撮影。カブトムシという夏のイメージのエピソードではあるが劇中ではすっかり葉の落ちた気ばかり目立つ。10月に撮った写真では本編のイメージより青々しているので恐らく本編撮影は3〜4月くらいに行われたのではないだろうか。
五朗の潜入したショッカースクールは奥深い山の中へ登っていく。
登ってくる階段は浄心門から4号路への分岐点。劇中、戦闘員の後方に見える白っぽい看板は2号路への分岐の看板。対比の写真にも写っているが茶色に塗られているため目立たない。
隊列はそのまま右に曲がり神変山園地方向へ。現在このルートは側道の一つとして残ってはいるが綺麗に整備されておらず登山客はあまり通らない。カメラ位置はメインの登山道1号路にあり多くの登山客はここを通って山頂へ向かうことになる。
ショッカースクールの卒業試験として滝の殺害を指示するカブトロング。
ここは上記の登山道を登ってくるシーンからそのまま先に行った辺り。直立する戦闘員の後ろの切り株の痕跡が苔むして今も残る。
滝が縛られた木を見つけるのに苦労したが映像の流れ的、木の形状的にこれで間違い無いでしょう。
ライダーが登っていたと思しき木が先日の台風の影響か折れて倒れていた。
このアングルも台風等で折れた枝の山で見通せず。
このカットから神変山の真ん中を通る道で脇には当時と同じコンクリート製ベンチが残っている。
上のベンチの場所から少し登るとライダーが乗っていた東屋があったのだが既に痕跡も無く、参道にいたボランティアガイドの方に伺ってもそこに東屋があったこそすら知る者はいなかった。ベンチのシーンで道の先にこの東屋が映り込んでいるので間違い無いと思うのだが…
さらにその東屋から先に登った辺りに石碑らしきものが木立の中にあるのだがこれもガイドの方はご存知なかった。山頂にある十三州見晴台の碑に形状がよく似ているが関連があるのかも。
カブトロングを追ってきた少し開けた場所は神編山園地の頂上で木立の合間に先の東屋の屋根も確認出来る。
当時は植え込みが綺麗に刈り込まれていたが現在は特に手を入れたりはしていないようだ。
ライダーが振り向いた先には昭和37年に建てられた"林野庁殉職者慰霊碑"があるのだが、当時まだ建って10年も経っていなかったので綺麗に整備されていたのだろう。
カブトロングが倒れ正気を戻した子供達。
ここは先に整列させられていた場所と同じ。
神変山(しんぺんやま じんぺんやま):高尾山で多くの登山客が通る登山道1号路にある浄心門の脇の小さな山(丘)の事で浄心門脇の4号路の分岐と1号路の間にそこへ登る細い道がある。その頂きには昭和37年に建てられた林野庁殉職者慰霊碑がある。65話では高尾山の山中のシーンの大半がここで撮影されていた。高尾山は47年前とはいえ人気の観光スポットだった故、一般の通行人が少ないここが使われたのではないだろうか。上記したがこの慰霊碑周辺は当時こそベンチや東屋が設けられ公園のように綺麗に整備されていたが現在は通る人も少ない。今はもう無くなってしまった戦闘のシーンに映り込んでいた石碑や東屋の事は年配のボランティアガイドの方たちも存在すらご存知無かったほどである。
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マンションニューランド
塀の上から飛び降りながらライダーキックをするナオキとミツル。ライダーごっこに興じる二人にライダーキックは日ごろ鍛えている仮面ライダーだからこそ出来るんだと諭す本郷と滝。
当時、ブームの加熱で社会問題にまでなっていた「ライダーごっこ」を当のライダー本人が抑制すべく台本に組み込まれたシークエンスである。
場所は本郷の自宅として登場する定番ロケ地マンションニューランド。
二人がジャンプする背後には隣接する敷地にあったブロック塀が映るが数年前に立派な邸宅が建った際に消失。
撮影に立ち寄った日がちょうど粗大ゴミの日だったようである。
隣の敷地は間地ブロック擁壁の上にさらにコンクリートブロックによる増積擁壁。。
本郷の背後の大谷石の擁壁はニューランドのもの。
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環八通り
「日本本土を縦断している幹線道路はいたる所で原因不明の陥没を起こし交通は大混乱を起こしています。」
地獄サンダーの人工蟻地獄により国内の交通が麻痺した事を伝えるニュース映像は何かの報道映像か他作品から流用したと思われる映像が2カット映る。
片側4車線の広い道路で中央には高速か何かの橋脚、反対は緑が生い茂っているように見える。
ここは環八東名入口の交差点に架かる歩道橋から西側、東京IC上り出口付近を捉えた映像だと思われる。橋脚はのちに補強工事でひと回り太くなり一部に旋回用道路の位置が現在と異なるようだ。画面右側の緑は砧公園のもの。劇中のカメラ位置だとのちに出来た案内標識で見通せない為少し南側にずれて撮影した。
2カット目は片側3車線が渋滞し奥には歩道橋が確認出来る。対比で添付したキャプチャ画像だと分かり難いがBlu-ray映像だと歩道橋の傍に「日産教習所」の看板が確認出来る。これは世田谷区岡本にある現在の「東京日産ドライビングカレッジ」の物だろう。撮影された場所は先のカットの場所から南に5、600mほど離れた瀬田交差点から北向きに環八通りを捉えたものだと思われる。教習所の看板は現在マクドナルドとハウジングセンターになっていた。
この2カットは長らく特定出来ないでいたがオフ会の際に参加者に相談したところいともたやすく解析してくれた。ご助言いただいたなびすこさん、ブログ「ロケ地街案内」のモリリンさん他、オフ会参加者の皆様どうもありがとうございました。↧
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並川博士邸
プラノドンに操られたエミの仕業により警察に逮捕された一文字だったが、FBI捜査員である滝の警察への働きかけにより釈放されることとなった。
警察幹部と滝が訪れていた並川博士の邸宅外観はプラノドン初戦が撮られた元町公園プールの近くにあった政治家、藤山愛一郎邸が使われている。現在は別の一般住宅になっている。
エミの後方、道路境界から少し敷地に入った位置にある電柱が往時を偲ばせる。
滝の背後に見えるコンクリート塀が残っていた。当時は映像を見ると表面を削る、いわゆるビシャン仕上げと呼ばれる意匠だったが現在はモルタルで押えた表面を櫛で引く櫛引仕上げにリフォームされている。隣家側の裏面は当時のままビシャン仕上げのままだった。
塀の向こうの敷地は当時からお寺なのだが70年代に建て替わっていて撮影時は更地だったか仮設の時期だったようで映像では車が駐車しているのが見える。その先には米軍の施設だった瓦屋根の大きな建物が確認出来るのも当時の住宅地図通り(手元にその地図のコピーがあるが個人名や電話番号まで記載されているので掲載は自粛します。)。余談だがその米軍施設は現在モルモン教のチャーチで、信者である女優の不倫相手との逢瀬の現場として知られている。
塀の向こうの敷地は当時からお寺なのだが70年代に建て替わっていて撮影時は更地だったか仮設の時期だったようで映像では車が駐車しているのが見える。その先には米軍の施設だった瓦屋根の大きな建物が確認出来るのも当時の住宅地図通り(手元にその地図のコピーがあるが個人名や電話番号まで記載されているので掲載は自粛します。)。余談だがその米軍施設は現在モルモン教のチャーチで、信者である女優の不倫相手との逢瀬の現場として知られている。
大正時期に流行ったような和洋折衷の意匠を持つ邸宅で、当初元町界隈にあった外人住宅の一つかと思われたが映像から読み取れる情報を元に航空写真と住宅地図を調べた結果恐らくここだろうという結論を得た。
古い住宅地図の記載では「藤山愛一郎」との記載があるが一般的には港区白金の現在のシェラトン都ホテル東京が建つ敷地にあった邸宅が愛一郎の自宅だとされるので同姓同名の別人というのも考えられなくはない。(そちらの白金の邸宅は拙ブログで取り上げるのは少し先になるが75話でも使用されている。)
ただ、愛一郎は衆議院議員時代は神奈川1区から出馬しており、その為の別邸だったのでは?と推察している。
外観の写真など何かしらの特定を裏付ける資料を引き続き探したいと思います。
資料提供に加え特定に至るまで多くのご意見を頂戴し多大なるご協力をいただいたコロンボさんには感謝申し上げます。
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コミックマーケット96のお知らせ
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柿生発電所
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小川自然科学研究所
本郷の先輩でショッカーに操られる事となる小川の務める小川自然科学研究所は多摩市連光寺にあった旧林野庁鳥獣実験場の標本館が使われていた。この建物は大正8年頃に建てられた洋館で直近にある旧多摩聖蹟記念館と併せてライダー10話、35話やバロム116話などの撮影に使われていた。当時の建物は1996年に解体されてしまったが管轄は当時と異なるもののほぼ同じ位置に当時の意匠を踏襲した建物が建っている。
本郷の背後の木々の先には実験場の関連建物に加え、林野庁の多摩宿舎が数棟建っていたが2016年頃に解体され現在は更地になっている。
屋根に登るギラーコオロギ。改修された同じ建物じゃないかと錯覚するほどに旧館のイメージを残す。
特筆すべきは研究所内のシーンでは実際にここの標本展示室が使用されているのが確認出来る事だろうか。
この部屋が実際の標本館内での撮影で展示されている標本は作り物ではなく「連光寺村御猟場」調査の為に集められたものだと思われる。
「聖蹟と鳥獣」(2001)発行:パルテノン多摩より。ほぼ上の劇中シーンと同じアングルで撮影された展示室の様子。手前の鹿の頭こそ写っていないが展示ケースの配置、壁の掲示物(2点の左右が変わっているが)も同じものだと思われる。
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平尾中央通り
小川自然研究所へ向かう本郷と滝。(第69話)
通りの脇の空き地からススキ越しに撮られたこの道は稲城市の平尾住宅下を通る平尾中央通り、稲城市立第五保育園前の交差点辺り。この通りはバイク走行シーンで度々使用される道でこの69話と同時製作の68話ラストカットでも同じ場所が登場する。撮影当時から近年までこの道の先は曲がりくねった古い道に続いていたが若葉台方面へ真っ直ぐ抜ける新しい道が作られている事もありここ10年で大きく変貌してきている。
イカデビルを倒し去っていく本郷。(第68話)
雑木林に囲まれた道を走るシーンで映り込むものは電柱程度しかないがこのカット最後の方に先述のシーンで映り込む同じ看板があり、同一の道だという事が分かる。
本郷の後方は突き当たりのようにも見えるが右にカーブして坂浜方面へ抜けていた。対比の写真で分かるように雑木林が無くなり道が真っ直ぐ抜けている。この先は2019年8月の時点ではまだ工事が途中で完全には抜けていない。
本郷の後方、上記のカットでも映っていた「(株)黒田土木」の看板。現在そこには信号が設置され、第五保育園が建っている。ロケ地とは直接関係無いが看板の黒田土木は平尾の旧家だった黒田家が営んでいた造園会社で当時は看板に矢印もあるように平尾外周通り沿いに在ったが現在は宅地になり存在しない。 左に映りこんでくる現存する擁壁は平尾住宅1号棟の敷地。
ギラーコオロギを倒し去っていく本郷。(第69話)
先と同じ平尾中央通りではあるが通りの始点である津久井道寄りで本郷後方の小高い丘は現在の新百合ケ丘駅近くで川崎市立麻生中学校が建つ辺り、エンジ色の屋根のアパートらしき建物2014年頃までは現存していた。その左の間地ブロック擁壁には現在マンション、シーズンアリーナ新百合ケ丘が建つ。
ラスト近く、右側に映り込む民家が現存。
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勝浦港
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熊野古道
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青岸渡寺
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熊野那智大社 #1
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那智の滝
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熊野那智大社 #2
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